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“安芸の宮島”安芸の国一宮 厳島神社参拝。追体験のハズが

安芸の国一宮 厳島神社
(伊都伎嶋神社)
広島県廿日市市宮島町1-1
主祭神 市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
社格等 式内社(名神大)、安芸国一宮、官幣中社、別表神社
創建 推古天皇元年(593年)
本殿の様式 両流造

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我が家の祖先である“平家”の守り神。この間まで征夷大将軍になりたかったので、新宮十郎系“源氏の末裔”を名乗っていたが、とりあえず、熊野へ落ちのびた(となっている)維盛にあやかって“平家”とすることにした。なんといっても4代前は不明なのをいいことに、家康とかの前例(源氏の末裔と勝手に名乗る)に依って当方も勝手に名乗ることに([E:catface])
まあ、冗談はともかく、この宮島。確かに36年前、高校一年生の時に訪れたハズ。ハズなのにまったく思い出せない。
当時、中国地方へ旅行に出かけた理由は、母校の修学旅行で毎年訪れていた中国地方への旅行が、食彩賓館の年から「物見遊山から体験旅行へ」ということで山登りへ変更になると知ったから。それじゃあということで、友人と二人で夏休みを利用して錦帯橋、広島原爆ドーム、尾道、後楽園、姫路と個人旅行を楽しんだ次第。もっとも、行きは寝台列車、宿泊はユースホステルで自炊という貧乏旅行でしたがそれはそれなりに楽しい旅でした。
食彩賓館の旅の記憶では、間違いなく宮島も訪れたハズ。昔の記憶というものは追体験することで思い出せることが多い。なのに、今回の宮島行は追体験のバスなのにまったく記憶が蘇らない。もしかしたら、食彩賓館の思い違いで宮島へは行ったことがなかったのかも知れない。そんなことを思いながら、灼熱の海岸沿いを鳥居に向かって歩く。
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鳥居をしばし眺めていると、たどたどしい日本語で「シャシン オネガイシマス」と美形の婦女子に撮影を依頼される。発音からおそらく中華系と思ったので「笑一笑xiao yi xiao」とやったらウケた[E:catface]。とりあえず満足。ところで、食彩賓館は見知らぬ方から写真撮影を依頼されることが多い。なんとなく「撮ってあげましょうかオーラ」が背中から出ているのかもしれない。
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その後、大願寺(日本三大弁才天・・・竹生島宝厳寺の記事)を参拝し、宝物館を見学して厳島神社へ入ろうとしたら、なんと宝物館側は神社参拝順路の一方通行出口。しかたないので入口まで戻って入りなおす。
ところで大願寺ではコナンのイベント物件発見。ついでに汗拭き用のタオルを購入。
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本殿では結婚式に出くわし、神前結婚式を多数の外国人旅行者の皆さんに混じって見物。この間は仏前結婚式に出くわしたが、なんとかく神前の方がスッと受け入れられるなあ思った食彩賓館でした。(仏前結婚式を否定しているわけではありません。個人の印象です)
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国宝の本殿、高舞台や重文の能舞台や反橋などは若い頃に見るのと、歳をとってから見るのじゃ印象が違う。こういった歴史的建造物は自分もある程度、歳をとらないと理解して楽しむことができないのかも知れない。

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 お杓文字。希望する字を書いてくれるというので「食彩賓館」と書いてもらう。包丁の時と同じ(記事)。

追体験したハズが、おそらく思い違いで、初めての訪問だったのかもしれないと思った宮島行でした。
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この後、市内に入って訪れた4年ぶり3回目の原爆ドームは、最初に訪れた16歳の時の衝撃が また蘇った。
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